感謝坂の金木犀(キンモクセイ)が満開です。
◇協働する感性◇
最近、卒業生の方に高校時代のお話を聞く機会が何度かありました。
その中で印象深かった言葉が、「カピタニオはそれぞれ個性が違う子がいて、それが集まって同じことをするところがいいですね」と言っていたことです。同じ空間にいて、自分と違うものを持った人を受け入れる力というか、「私はこうだから、こうしか受け付けません」でなく「そういう考え方もあるよね」という寛容な姿勢や人との接し方が高校時代に自然と身についたと言っていました。
確かに、少人数ということもあって、いまこうして全校朝礼で、全校生徒で祈ったり、聖歌を歌ったりするのもそうですし、それがラ・カリタやハレルヤ・コーラスの合唱にも繋がっています。先日の学園祭も同じテーマで、しかも各クラスがそれぞれ個性豊かな発表ができたと思いますし、クラスの中にも、いろいろな考え方があってそれを調整して一つの発表に作り上げました。卒業生の方は、プロムナードの思い出も懐かしく話してくれました。最初は気持ちも動きもバラバラなところから士気がだんだん高まって来る感覚を今でも覚えているそうです。今日これから生徒会選挙がありますが、新しい生徒会もみんなで楽しんで学び合えるような雰囲気を作ってもらいたいと願っています。
これからの時代は、それぞれバックグラウンドが違う人とともに働いたり、過ごしたり、何かを一緒に作り上げたりする社会になっていくと思うので、そういう感性がますます重要になってきます。
◇環境をどう受け取るかも大切なこと◇
卒業生の言葉でもう一つ印象に残ったのが、「環境も重要だけれども、環境から受け取るものは人によって同じではなく、自分が今の環境をどのように捉え、どのように受け取るかも、とても重要だと思う。」というようなことを言っていたことです。同じ環境で過ごしても、その受け取り方によって経験の質はかなり異なると思います。でも一人ひとりのモチベーションの高まりによって、みんなで高め合えていけるものかなとも思います。
◇違いから生み出される創造性◇
本校の提携大学の一つに愛知淑徳大学がありますが、その教育理念が「違いを共に生きる」という言葉です。「私と違う、そういう考え方もあるよね」というのが第一段階、でもそれにとどまらず、「そういう考え方もいいよね」「私の考え方もよくない?」と、お互いのいいところを取り入れて、新たな発想が生み出せるような弁証法的な関係性を築けると本当の意味で「違いを共に生きる」ことになるのではないかと思います。
校長 村手元樹
*2023.9.28 全校朝礼