今年から本校の修学旅行は、長崎になりました。
長崎は「日本のローマ」と言われるように、たくさんのカトリック信者、修道者たちが生活をしておられます。
その長崎の地を訪れることは、カトリック学校で学ぶ生徒達だからこそ日本のカトリックの歴史に触れてほしい、原爆投下によって壊滅状態になった街を訪れて、平和について考える機会になって欲しいという願いがあります。
生徒たちからは「沖縄への修学旅行を楽しみに来たのに・・・」という声も聞かれましたが、せっかく行く修学旅行だからと前向きにとらえ、実行委員会を中心に有意義な修学旅行を計画、準備をしていました。
その結果、生徒たちが感じたことを抜粋した感想文で紹介します。
*実際に被爆地を訪れ、原爆の危険性を深く学びました。2023年5月に広島で行われたG7では「核兵器を持つことで自国の安全を守るという抑止力になることを前提としている」と決議されています。私は武力で物事を解決しようとする考え方が、未だに流布している現実に唖然としました。国を代表する政治家こそ、より多くの原爆被害者の話を聞き、平和の大切さを理解すべきだと思います。私は「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか?」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起こるのか」という根源的な問いに向き合っていきたい、そうしていかなければ、再び取り返しのつかない悲劇を繰り返してしまうと思いました。
*今回の修学旅行の地は、長崎ということで、戦争と平和について学ぶのに持ってこいの地でした。原爆が投下されたところでは、たくさんの人や自然が意図せずに死んでいきます。そんな状況の中で、自分の大切な人を失ってしまったり、自分自身が負傷したり、家が無くなってしまった人々がどれだけ辛かったかを、資料館の展示から知りました。だから、戦争はあってはいけない、すべての人が平和の中で過ごせる世界を目指し続けなければならないと思いました。次は、信仰が人々に与える力の大きさです。今回の修学旅行では、潜伏キリシタンの方々や26聖人として殉教された方々についてたくさんのことを学びました。外海地区のキリシタンに関しての資料館では、キリスト教の禁教令が出ており、取り締まりがあったにもかかわらず、仏像に似せたマリア像を竹筒に入れておくなど、様々な工夫をして信仰し続けたことが分かりました。また、26聖人も死ぬまで信仰を捨てなかったことも知り、信仰心は人々の心の支えや強さにもつながるということが分かりました。
*今回の修学旅行で、本当にたくさんのことを学びました。平和記念公園の「祈念」という漢字は、「祈る」が使われていて、過去のことを記念しているのではなく、今もなお祈りを捧げる場所であり、戦争は原爆の悲劇では永遠に終わらないものなのだということを学びました。ド・ロ神父記念館では、実際に神父の作った機械や工場を見ることができ、それによって救われた貧しい人々の喜ぶ姿を思い浮かべ、社会福祉や人を愛することの大切さを学びました。そして、浦上天主堂での「み言葉の祭儀」を終えて、この場所で一瞬のうちに多くの人たちが亡くなったこと、「いい子、いい子」と我が子をなでるお母さんが、その子と共に一瞬にして丸焦げになり、吹き飛ばされて亡くなったことを深く実感し、私たちがみんな揃ってこの場所で祈りを捧げる意味を感じながら、「平和とは何か」「私たちが生きる意味は何か」を考えさせられた旅行になりました。
修学旅行の思い出は、何といっても友人たちと共に過ごした時間(特に夜の時間)でしょうね。
その時間があるからこそ、修学旅行の研修も心に残る場面が刻まれてくるのだと思います。
その感動を、友と分かち合い、共感し合える時間を持てるのも修学旅行だからこそ体験できる時間ですね。
普段の生活の中であまり考えることのないことを、現地に行って直接目にし、現地の方との交流や体験したからこそ気づけることがあります。
生徒たちの感想文を読んで、そのことがとても伝わり、若いこの時期だからこそ本物に触れ、自分の生活を見直すきっかけにできるのも修学旅行の良いところですね。