【長崎紀行③】長崎で出会った語り部たち 
2024.12.04

外海のツアーガイドさん

解説をしてくださったシスター


 

◇素晴らしき「話芸」 ◇

さて、旅のあらましを踏まえて、特に印象に残ったことをいくつか反芻してみたい。

今回の修学旅行は、数々の素晴らしい「話芸」を堪能できる旅でもあった。話芸という言葉が少し憚られるのは、それは「話芸」のイメージのなかにある「芸能」というより「芸術」の域に達していると感じるからである。表面的に弁舌が上手というのではなく、語る内容に関する豊富な経験に裏打ちされた重みのある語りである。

 

◇バスガイドさんの熟練の話術◇

まずバスガイドさん。ベテランのガイドさんばかりである。この業界もなかなか若手が入って来ないと聞く。高齢化が進み、だんだんとガイドさんがいなくなってしまうのではないかと思うと淋しい。今一つ反応が薄く、バスに揺られて眠ってしまいがちな私たちに、それでも根気よく語りかけてくれる。淀みなく分かりやすい観光案内がなければ、バスも味気のない移動手段に堕してしまう。普段車に乗っていると、アスファルトを割って咲く野の花に気づかないのと同じだ。

バスガイドさんの解説で永井隆博士の偉大さを改めて知ることができた。永井博士の名作「この子を残して」の冒頭の長い一節をしみじみと淀みなく暗誦されたのにも感銘を受ける。案内と言うより話芸と呼ぶにふさわしい。

 

◇外海のツアーガイドさんの心のこもった解説◇

次は外海地区のツアーガイドさん。私はⅮ組のガイドさんのお話をうかがいながら、外海地区を巡った。この地区にずっと暮らしていらっしゃる、高齢の女性である。簡易マイクもあるが、マイクがなくてもクラス中が聞き取れるような、大きな、ゆっくりとした聞き取りやすい声。潜伏キリシタンの信仰、ド・ロ神父の偉業、教会堂の魅力など、ただ単に歴史的事実を齧ったのではなく、ここで実際に暮らしている実感と臨場感のこもった解説。映像で見てナレーターを聴くのとは、おそらく受け取るものは、かなり違うのではないか。しかし、こうしたガイドができる方も年々減っているということだ。

「出津旧救助院」では、地元在住のシスターから直接説明をしていただいた。ド・ロ神父がフランスから取り寄せたオルガンの音色も聞かせてくださり、シスターの伴奏で「いつくしみふかき」を皆で歌った。ちょうど11月に朝礼で歌っている歌だったので、偶然とは言え、何か不思議な縁のようなものを感じた。私は大好きな曲で、メロディと相まって歌詞が本当に心に染みるのだ。

 

◇西神父さまの説教の魅力

最後は西神父様のお話。お話の内容も深くて説得力があるが、話し方の高い技術に裏打ちされている。落語のように面白い話は何度聞いても笑ってしまうし、心の琴線に触れる話は何度聞いても目頭が熱くなる。笑いあり涙あり、でも話は一貫していて、一つの中心に向かっていく。だから自分の生き方に示唆を与えてくれる「話の芯」はしっかり残る。

日本の代表的な話芸である「落語」は、仏教における「説教」(宗教の教えを民衆に口頭で解き聞かせること)から生まれたとされている。お坊さんが民衆にお釈迦様の大切な教えを伝える時に、笑い話や人情の機微に触れる、しみじみとした話を織り込む。人の心を動かす説教のこつは「初めはしんみり、中は可笑しく、終いは尊く」と言われる。説教に人々が感動する様子は『枕草子』にも書かれている。「落語」はこうした語りの伝統を引き継いだ。西神父様の説教をお聞きすると、そんなことも彷彿とさせるのである。

校長 村手元樹