◇この子を残して◇
修学旅行から帰って来た翌月の12月に1年生に講演をしてくださったVITA(びーた)さんが「人は触れたものにしか興味を覚えられないから、いろんなことに触れてみてください」とおっしゃっていた。私も「如己堂」に行って初めて、何となく知っていた永井隆博士と出会ってみたいと思った。もちろん著作を通してである。そうして手に取った一冊が『この子を残して』(1995年、サンパウロ、初版は1948年、講談社)である。ベストセラーとなり、映画化もされた。現在、インターネット上でも青空文庫で読むことができる。
『この子を残して』は、原爆投下当時3歳だった茅乃(かやの)さんと10歳だった誠一(まこと)さんの二人を残して、間もなくこの世を去らなければならない永井博士が、まさに子どもたちに遺す(のこす)ための書でもある。子どもたちへの思いや願い、人々や社会に対する思い、人生論などが書き綴られる。その中に聖書の御言葉や場面が随所に分かりやすく引用されており、永井博士の考え方や生き方を通して聖書の理解も深まる。
◇長崎の鐘◇
もう一冊手に取ったのが『長崎の鐘』(1995年、サンパウロ、初版は1949年、日比谷出版社)である。原爆が投下された時、永井博士は長崎医科大学で働いていた。その直前、直後、その後の救護活動の様子、原子病のその後の状況などが克明に描かれた随筆である。読むに耐えられないほど、原爆の残酷さ・非人道的であることが痛切に伝わってくる。この作戦において地上でここまでのことが起こると果たして想像できていたのだろうか。専門家でもある永井博士は原子病の恐ろしさを訴える。即死、悲惨な外傷だけではない。被爆した時は無傷で会っても、放射線によって体内が徐々に破壊され、時間差で死に至るケースも多い。
最終章が「原子野の鐘」。浦上天主堂も大破し、鐘楼も吹き飛ばされたが、永井博士の提案で、「アンジェラスの鐘」の2つのうち1つが瓦礫の中から奇跡的に掘り出され(1つは破壊)、1945年のクリスマス・イヴに、組んだ丸太に吊された鐘が廃墟となった浦上天主堂に平和を祝福するように響き渡った。この章は次のように終わる。
「浦上人は灰の中に伏して神に祈る。ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえと。鐘はまだ鳴っている。/『原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、おん身により頼み奉るわれらのために祈り給え』/誠一と茅乃とは祈り終わって、十字をきった。」
『長崎の鐘』は空前のベストセラーとなり、この本を題材とした歌謡曲「長崎の鐘」も大ヒット、永井博士の生涯を描いた映画「長崎の鐘」も製作された。
「こんなスゴい人がいたんだ」というのが単純だが正直な感想である。こういう人に出会うと何か勇気づけられる。