62年前の入学生の詩 ―令和7年度第63回入学式―
2025.04.08


令和7年4月7日(土)、入学式を行いました。昨年に引き続き、今年も桜の開花が遅く、入学式に合わせてくれたように、満開になりました。お天気もよく、青空の広がる下(もと)の入学式でした。以下は、入学式に私が述べた式辞を以下に載せます。新入生に向けての私のメッセージです。

 

入学式式辞

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から高校生活が始まります。皆さんはいま期待と不安のなか、この場所にいると思います。

聖カピタニオ女子高等学校が創立したのは今から62年前のことです。イタリアからやって来られたシスター方によって高嶺山という山の上にこの学校が築かれ、第1回生が皆さんと同じように高校生活を始めました。第1回生の一人が入学に際して抱いた気持ちを綴った、ごく短い詩が残っています。その詩を紹介します。

「お父さん/お母さん/私はとうとう高校生/この靴 この帽子/この姿もみてください/(一行空ける)/あの青空の如く/偽りのない/人間になることを誓います/そして 名も知れぬ雑草の如く/力強く生きる人間になることを誓います」

この詩には、高校に入学する、喜びと感謝、そして決意が込められています。ちなみに帽子は創立当初あった制帽のことです。

この方はいま77歳になっていると思います。この言葉のあと、どんな高校生活を送り、どんな人生を歩んだのでしょう。

この頃の社会状況を振り返ってみましょう。現在高校への進学率は約99%、ほとんどの人が高校へ進学しますが、62年前の当時、女子の高校進学率は約65%でした。大学への進学率になると4%にも満たないほどです。中学卒業後、3人に1人が就職して社会に出ました。これは過去のこととして片付けることはできません。世界に目を向ければ、現在、15歳以上で学校に通っているのは60パーセント台です。1億人以上の子どもたちは、それ以前の教育も受けられていません。

出口治明さんと言う人が、教養は知識だけでなく「自分の頭で考えること」が不可欠で、その際、いま自分の立っている場所だけで考えるのではなく、「タテ」と「ヨコ」で考えることが重要だと言っています。タテは時間軸、歴史軸、「ヨコ」は空間軸、世界軸です。高校生活についてもそんなふうに考えてほしいのです。

私の高校時代も高校への進学率は既に90%を優に越えていました。高校進学を当たり前のように考え、その喜びやありがたみをどれくらい感じていたか、それを思うと、この詩の志の高さに自分を恥じずには居られません。こんなふうに空の青さや野の花にも目を向け、この世界と真っ直ぐに向き合っている、その美しい眼差しを持って、もう一度高校生活をやり直したいという気持ちにさえなります。

 

「青空のように偽りのない人間になる」とはどういうことでしょう。「偽りのない」とは特に「自分に嘘をつかない」ことだと思います。人は心が曇り、自分の心に従って行動できないことが間々あります。そんな気持ちに打ち勝って自分らしく誠実に生きていこうという決意でしょう。

では「雑草のように力強く生きる」とはどんな生き方でしょう。もちろん大木のようにびくともしない強さではありません。踏まれても踏まれても明るく伸び上がる雑草のように、失敗してもくじけずに立ち直る強さのことです。失敗を恐れずチャレンジする強さのことです。

ひとつ覚えておいてください。「強い」の反対は「弱い」ではありません。むしろ自分の弱さを認め、肯定するところから真の強さは生まれます。自分を偽って「強がること」と強さとは違います。聖書にも「私は自分の弱さを誇ることにします。…私は弱いときにこそ強いからです。」という言葉があります。

自分の弱さを知ることは、自分が他者の力に支えられ、それによって初めて力強く立てるのを自覚することです。感謝の気持ちもそこから生まれます。

実際、高校生活は順調なことだけではないでしょう。思い通りにいかないことや、思い悩むこともあります。そんな時、まず自分の力を信じてその壁を乗り越えてください。成長のチャンスです。でも手を伸ばせば力になってくれる人がいることも忘れないでほしいです。自分の限界を知り、時には助けを求める勇気を持つのが真の強さです。それがカピタニオで学ぶ大切なことの一つです。

高校生活はチームプレイです。一人で試合をしているわけではありません。ここにいる先生たち・職員とともに皆さんの高校生活を全力で応援したいと思います。今日皆さんを歓迎するために来てくれた先輩たちもいます。

高校3年間が充実したものとなるよう、一緒にがんばりましょう。

ようこそカピタニオへ。

 

令和7年4月7日 聖カピタニオ女子高等学校 校長 村手元樹