◇3月27日にカピタニオの桜も満開に◇
3月27日(月)、気象庁は名古屋で桜が満開になったと発表しました。カピタニオ女子高等学校の桜も同日満開になっていました。桜と言えば、かつては入学式や始業式の時期というイメージがありましたが、最近では地球温暖化などが原因で開花時期がかなり早まって、校庭の桜は春休み中にひっそりと咲くようになりましたね。
◇桜への特別な思い◇
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今集・春上・在原業平)【訳】もし世の中にまったく桜がなかったなら、春(を過ごす人)の心はのどかであろうに。
以前、新聞のコラム欄に、デンマークからやって来た、ある留学生が「この歌の意味がよくわからない」と言ったエピソードが載っていました。どうして日本人は桜がなかったら心穏やかなのか、桜のために心が騒ぐというのはどういうことなのか、外国の方にはなかなか理解できないのだそうです。文化の違いということでしょう。
本来、春はのどかな季節であるのに、桜が咲いたり散ったりすることが気になり落ち着かないという桜に対する特別な思い入れはもちろん日本で暮らす者なら、ある程度理解できるでしょう。さてこの歌は「伊勢物語」にも載っていて、そこには次のような返歌がされています。
「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」【訳】散るからこそいっそう桜はすばらしいのだ。つらいこの世の中で(いったい)何が長く変わらずにあるだろうか。
◇桜のあでやかさとはかなさ◇
桜の花が人々にもてはやされ、花の代表になったのは、平安時代以降のことです。奈良時代には中国から入って来た梅の方がむしろ珍重されていました。「万葉集」では桜の三倍も梅が歌われていますが、「古今集」になると「17対41」で逆転しています。桜のあでやかさは、いかにも王朝の隆盛期にふさわしい感がありますが、桜のはかなさもまた桜への思い入れの大きな要素です。
「うつせみの世に似たるか桜花咲くと見しまにかつ散りにけり」(古今集・読み人知らず)
校長 村手元樹