聖カピタニオ像前に咲く白い日々草
(カリタスホームの窓に映る夏空も爽やか)
先日の1学期の終業式で「夏休みにいろいろな体験をしよう」「例えば受験も貴重な体験である」という話の一環として、私自身も遥か昔の高校時代の受験ではなく、大人になってから(10年くらい前に)受験を体験し、辛いこともあったが、かけがえのない経験となっていると全校生徒に話しました。この時の事情をまとめ、一昨年度の文集「はらやま」に「私の受験体験記」という拙い文章を載せました。その文章を4回に分けてこのブログに再録したいと思います。何かの参考になれば幸いです。
「私の受験体験記 ― 私のまなびノート1」(「はらやま」第58号、令和4年2月発行)
◇はじめに◇
大学を卒業して二十数年が経った頃、私は図らずも大学院受験を思い立った。今回、「はらやま」担当の先生に、何でもいいから何か書いてくださいとほぼ断れない空気感の中、「特別寄稿」を突然依頼された。何を書こうか迷った挙句、この受験の記録を書くこととした。せっかくなら借り物の話よりも何か骨身に沁みた自分の経験を書く方がよいと思ったし、これを読んでくれた生徒の皆さんに何らかの参考になるかもしれないと考えたからである。受験の際の心持ちとか、受験勉強の仕方とか、学ぶことの意味とか、あるいは人は年を取るとこんな気持ちになることもあるんだという素朴な感懐でもいい、何か一つでもヒントになることがあればいい。
◇志望動機と葛藤◇
まず志望動機だが、と言っても確固たる動機があったわけでもない。もちろん高校生の時のように将来設計の一環ではなく、大学でも学んだ文学をもう一度ちゃんと学んでみたいという単純な発想である。大学でもっと勉強すればよかったという心残りもあったろう。大学では単位を取ることが目的化し、単位を取ったという達成感はあっても、主体的に学んだという充足感はなかったような気がする。少なからず、そんな気持ちを大学卒業後から持っていたと思う。しかし「今さら」という気持ちも同時にあった。人生には「今さら」という言葉が行動しない言い訳として使われることがままある。こうした思いを心の片隅に持ちながらも、自分なりに文学に親しみ、国語教師として高校の教壇に立ち、生徒の皆さんとも文学の楽しさを共有し、時を過ごしていた。
卒業して十年ほど経った頃、自宅近くに大学が移転してきた。車で5分の距離だ。しかも自宅から職場に通勤する途中、ほぼ中間点に大学は位置していた。自宅から5分。職場からも5分。さらに幸運というか不運というか、働きながら学ぶ社会人を積極的に受け入れる体制が整った大学だった。夜間の授業だけで学べる設定もある。仕事を終えた後、5分で大学に通学でき、授業を終えた後、5分で帰宅できる。これは、「お前のために大学を移転させた。行って学びなさい」という神様の思し召しだと思えるほどの恵まれた状況ではないか。
働きながら大学でもう一度学ぶというほとんど妄想に近かった思いに現実の方が近づいてきたことに私はむしろ困惑した。先ほど「不運」と言ったのはこの意味である。「仕事と両立できるわけないよ」とか「距離的に通学ができない」とか「現実的に無理だよ」とか、そういった自分への言い訳ができなくなったからである。結局はチャレンジする勇気と労力を惜しんでいるという本質的な問題がさらけ出され、何度も鎌首をもたげてくる。(つづく)
校長 村手元樹