出張先で見かけた向日葵の群生
先回のブログに掲載した「私の受験体験記」のつづきを以下に掲載します。
「私の受験体験記― 私のまなびノート1」第2回(「はらやま」第58号、令和4年2月発行)
◇リカレント教育◇
さて少し話が逸れるが、この「勇気」に関連して「リカレント教育」について触れてみたい。文部科学省が中心となって推進している「リカレント教育」は、簡単に言えば「社会人の学び直し」。学校教育からいったん離れて社会に出た後も、各自のタイミングで学び直すことである。もともと「学ぶこと」は一生必要なもので、常に新しい知識を得ながら、その状況に対応して生きていかなければならない。特に社会の変化が激しく、人生百年時代とも言われる現代では、その状況に合わせて何度も学びをアップデートする必要がある。そこで政府はリカレント教育の環境を整備しようとしているわけだ。
海外ではこのような考え方はずいぶん前から当然のごとくあったし、日本でも徐々に珍しくなくなってきている。世界選手権でも活躍した日本のラグビーの選手が、引退して医者を目指して二度目の大学生活をするというニュースは記憶に新しいだろう。カピタニオの卒業生の中にもそのような卒業生も増えてきている。私は二十年くらい前の卒業生に偶然再会したことがある。確か国際系の短大に進学したと記憶しているが、就職してから十数年後思い立って、大学の看護学部に入って看護士を目指していると言っていた。大学院でも私より年輩の方や、会社を定年退職してから入学したと言う方も珍しくなかった。
◇受験を決意する◇
とは言え、意識の上では、まだまだ日本には年齢の縛りが根強く残っている。以前の「終身雇用制」の影響であろうか、人生を直線的に捉える傾向もある。さてここで「勇気」の話に戻るが、リカレント教育の、一つのハードルともなっているのがこの意識である。気にしなければいいだけの話だが、当時の私の中にも「今さら」という感覚があって、若い学生の中に混じって授業を受ける自分の姿を想像すると、「年寄の冷水」のような気がして、つい躊躇してしまう。
こんな躊躇やら日々の忙しさやらに紛れ、実際に行動に移すまでには十数年の歳月を要した。私はある意味、満を持して受験を決意した。先ず大学のホームページで「募集要項」を調べる。入学試験は、①外国語の筆記試験、②専門科目(日本文学)の論述試験、③事前に提出する研究計画書に関する口頭試問、の三科目である。②③はこれまで自分なりに興味を持って取り組んできたことなので何とかなる。そんなに心配はなかった。問題は①の外国語(英語)である。大学受験以来、三十年近くのブランクがある。英単語も長い歳月と老化のため、ほぼ忘れている。私は目の前が暗くなった。しかし次の瞬間、私は希望の光が差すのを見た。欄外の小さな字で書かれた但し書きに「但し、社会人学生受験者については、外国語の学力検査において辞書(電子辞書類を除く。)を持ち込むことを認めます。」とある。何というありがたい御配慮。社会人でよかったぁ。私は閉まった扉がギギギという音を立てて、ゆっくりと開かれるのを感じた。神様、叩けば開かれるものなのですね。しかし扉の先に一つの落とし穴があることにその時の私はまだ気づいていなかった。(つづく)
校長 村手元樹