【朝礼の話⑮】「泥かぶら」
2023.10.06

感謝坂はドングリの実がいっぱい

 

◇「清い心」って、どんな心?◇

9月のテーマは「清い心」ということで、それはどんな心だろうと改めて考えてみました。「清い心」とは辞書的には「混じり気がない、にごりや汚れのない心」「邪念や私欲がない心」ということになります。でも形容詞は抽象度が高いので、なかなか言葉では表現しきれません。「美しい」と一言で言っても人それぞれのイメージがあるのと同じです。そういう時が文学の出番です。物語を通して私たちは言葉を超えてイメージを比喩で伝え合うことができます。

◇泥かぶら◇

「清い心」って例えばこんな心かなと真っ先に思い浮かぶのは「泥かぶら」という劇作品(原作・眞山美保)です。『置かれた場所で咲きなさい』でおなじみのSr.渡辺和子のエッセイで何度も引用されていることから、私はこの作品を知りました。公演から70年、1万5000回以上上演され、人々に感動を与えてきました。今では絵本にもなっています。簡単に言うと、次のような話です。

醜さのために村人から「泥かぶら」とあざけられ、からかわれて、心もすさんでいく娘がいた。そんなある日、通りがかりの一人の旅の老人が「次の三つのことを来る日も来る日も守ったら、きっと美しい人になれるよ」と言って去って行った。「いつもにっこり笑うこと。人の身になって思うこと。自分の醜さを恥じないこと。」必死にその言葉を信じて守っていくうちに、泥かぶらの顔からいつしか険しさが消え、徐々に村の人々からも愛されるようになっていった。そんなある日、村に人買いがやって来て、泥かぶらは、親の借金の形に連れて行かれようとした娘の身代わりになることを自ら申し出て、買われていく。その途中も泥かぶらが、にっこり笑って村人たちのことを楽しそうに話すのを聞いて、人買いの心も優しい心に変わっていくのだった。旅の途中で、ふと目を覚ますと人買いの姿がない。一枚の書き置きが残っていた。そこには、こう書かれていた。「もうお帰り、仏のように美しい子よ。」

◇内側から輝く美しさ◇

内側から輝く美しさとはこんな美しさを言うのでしょう。日々の生活の中で完全に「清い心」を持つことは難しいかもしれませんが、三つのことを心がけたいものです。「いつもにっこり笑うこと。人の身になって思うこと。自分の醜さを恥じないこと。」

校長 村手元樹

*2023.9.21 全校朝礼