浦上天主堂
◇浦上天主堂(カトリック浦上教会)で考えたこと◇
11月5日(日)から始まった二年生修学旅行は、11月8日(水)に最終目的地である浦上天主堂で辿り着いた。そして修学旅行の締めくくりとして「みことばの祭儀」が行なわれた。私はこの地でこの旅の意味が、改めて肌で実感できたような気がしたのである。「修学旅行」とは、文字通り学びを修めるための旅行であり、「その地に立つ」ことで初めて何らかの学びを実体験することである。オンラインやオンデマンドなど、誰かが作る画面に切り取られた現実ではなく、自らの五感で捉えることによって初めて得られるものも多い。もちろん人それぞれの目の付け所はあるが、この長崎の旅が共通項としてどんなことを意図しているか、私の考えを述べてみようと思う。
◇平和の尊さを学ぶ旅◇
11月8日、浦上天主堂の立派さに感心した私たちだが、その三日前、この天主堂の過去の悲劇を既に学んでいた。5日、長崎に到着してすぐ私たちは平和公園に行き、1945年8月9日午前11時2分、その真上で原子爆弾が投下された、爆心地に立った。周囲は一瞬のうちに廃墟と化し、7万4000人もの尊い命が奪われた。現在では原爆落下中心地碑が建てられている。
その後、原爆資料館を観覧し、被爆の惨状や核兵器開発の歴史、平和への希求などを学んだ。浦上天主堂は爆心地から500メートルの至近距離にあり、被爆・全壊し、原爆の悲劇を伝える祈りの長崎の象徴となっている。原爆資料館にはその状況も克明に展示されていた。ちなみにそのとき被爆したマリア像は浦上天主堂の小聖堂に安置されている。
平和公園
◇巡礼の旅◇
長崎はカトリック関連の史跡も多く、信仰の歴史を肌で感じられる場所でもある。カトリック学校に学ぶ者としては、普段の学びのバックグラウンドに触れる貴重な旅でもある。
11月6日、雨模様の中、私たちは、江戸時代からキリスト教信仰が受け継がれてきた、外海地区を訪れた。この場所は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つとして2018年に「世界文化遺産」にも登録された。海に面した豊かな美しい自然を眺めながら、江戸時代の潜伏キリシタンの歴史や明治時代に外海の主任司祭として赴任し、外海の人々のために献身したフランス人宣教師ド・ロ神父の足跡を辿った。午後には、長崎市内自由研修の中で、日本二十六聖人記念館を訪れた。2019年来日した教皇フランシスコが訪れ、祈りを捧げた場所でもある。
信教の自由が憲法で認められている現在、これらのキリシタンの歴史は過去のものとなったのだろうか。いや、時代の荒波に立ち向かって、彼らがどう対処し、どう生きたかを知ることは、私たちのこれからの生き方にも資することは多い。江戸時代という全く違った社会の中にあっても彼らの心を捉えた、愛の心や助け合いの精神の大切さは今も変わらない。
外海の黒崎教会/遠藤周作文学館のテラスから海を眺める
◇長崎の文化や自然を満喫する旅◇
11月7日、私たちは午前は分散研修で長崎の文化や自然を楽しみ、午後いっぱいハウステンボスで過ごした。私は午前、九十九島パールシーリゾートで遊覧船に乗り、九十九島の絶景を楽しんだ。ちなみに長崎は島の数が日本一であるそうだ。その後、「九十九島水族館海きらら」に行ったが、見せるための工夫を凝らした展示やスタッフの手書きのコメントなど親しみが持てる素敵な水族館だった。午後、広いハウステンボスを歩くだけの体力は私にはもう残されておらず、レンタサイクルを借りることとした。電動アシスト付き自転車に初めて乗り、そのあまりの快適さに人類の進歩を痛感し、驚いた。個人的に興味のあった「ハウステンボス歌劇団」の「チーム・フラワー」の公演も観劇できた。劇場も立派で、素晴らしいレビューだった。無料であるのも、ありがたい(前の方の席は有料)。
この修学旅行は夜景も満喫できる旅だった。函館、神戸とともに日本三大夜景に数えられる「稲佐山」から見る長崎の町の夜景を5日、6日と連夜で楽しめたが、ハウステンボスのライトアップも素敵だった。
遊覧船から眺める九十九島/稲佐山から見た、長崎市内の夜景/ハウステンボスのライトアップ
◇浦上天主堂で西神父様のお話を伺う◇
再び、浦上天主堂に戻る。11月8日修学旅行最終日、「みことばの祭儀」の中で長崎南山中学校・高等学校の校長・西経一神父様のお話を伺った。以下はそのお話の内容の概要である。
「いま皆がいる浦上天主堂の荘厳なチャペルは、原爆によって一瞬で破壊された。建物だけではない、赤ん坊を『よしよし』とあやすような、平和な家族の風景も一瞬に破壊され、すべてがなくなった。でも市民たちは力を合わせて一つ一つレンガを積み、やがてこんな立派な教会が建てられた。いま目にしているものの奥行きを考えなければならない。
それと同じように人も変わることができます。誰かの言葉に傷ついたり、手痛い失敗したりしても、立ち直ることができます。だから、ひねたりすねたりしてはいけません。ぜひ変わってください。今の自分から成長してください。
人は自分だけでは幸せになれない。人との関係性の中で支え合って生きている。その関係性の中で人は変わることができる。あなたが幸せでなければ私も幸せになれない、それが平和を願う気持ちです。」
◇長崎の旅・まとめ◇
西神父様のお言葉にあるように、「平和」は、戦争のない状態だけを言うのではなく、日常の生活の中にも争いや諍い、行き違いがある。家族や友人、周りの人の幸せを願う気持ちが平和の第一歩である。「ひねたりすねたりしてはいけません」というのは、まさに「清い心」を持って次の一歩を踏み出すこと、それによって変化、成長に繋がるということだろうか。それはまた普段のカトリックの学びにも通じると思う。修学旅行の目的の一つとしてパンフレットにも掲げられている「集団生活を通して、他への思いやり、協調性を養う。」ということも結局、同様のことではないだろうか。
さらに私たちが現在、長崎の自然や文化を平和に楽しめる背景にも、歴史の「奥行き」があることに思いを寄せなければならない。またこの旅行を無事に成功させるために働いてくれた多くの他者がいることも。あなたが幸せな気分で旅行ができなければ私も幸せになれないのです、とでも言うように。
校長 村手元樹