白いカーネーション
2023.11.25

 

Sr.フランチェスカの追悼と感謝のミサ        

 11月14日(ローマ教皇庁ファブリス・リベ臨時大使ほか3名の司祭共同司式による「Sr.フランチェスカの追悼と感謝のミサ」が本校カリタスホームで行なわれました。在校生、教職員のほか、100名を越える来賓・保護者・同窓生の方々にもご参列いただきました。全校生徒が歌う聖歌がカリタスホームに響き渡り、歌がお好きだったシスターのもとに届いたと思います。ミサの後、献花式が行なわれ、参列者全員でシスターに感謝の気持ちを込めて白いカーネーションの花を捧げました。秋晴れの爽やかな一日でした。

 

本校の礎を築いてくださったSr.フランチェスカ◇

 Sr.ザノッティ・フランチェスカ・ワンダは、1985に来日され、昨年度まで教諭(英語・イタリア語等)、副校長、理事長として実に38年間という長きに渡り本校に勤務し、本校の礎を築いてくださりました。本校の設立母体である幼き聖マリア修道会の修道院長のSr.大窪順子がミサで話されたように、修道者としてインドの貧しい人々のために働きたいという切なる希望を持っていたところ、日本への派遣を告げられ、悩まれたそうです。しかし、それを自分の使命として受け入れ、日本の高校生の教育のために、お力を尽くされました。助けを必要とする人のために奉仕するという修道会の精神のもと、まさに置かれた場所で咲くことを実践されました。

 ここ何年かは闘病生活をされながらも、常に学校のこと、生徒のこと、教職員のことを気に掛けてくださいました。7月9日、療養のためイタリアに旅立たれ、故国で穏やかな一時を過ごし、8月8日にイタリア・ミラノにおいてご帰天なさいました。

 そのお人柄については、司祭のおひとり、北向神父様が説教のなかで語られたエピソードがよく物語っています。卒業生の一人が小さな娘を連れて修道院を訪ねたあと、家に帰ってから、その子が母親に「将来、あの学校に行かせてほしい。あのシスターがいる高校でぜひ学びたい」と懇願したそうです。一度接しただけで、包み込むような優しさと温かさで人を魅了する、そんなシスターでした。

 

◇司式をありがとうございました

 ローマ教皇庁ファブリス・リベ臨時大使Sr.フランチェスカの日本での功績に共感してくださり、ミサのために東京から駆けつけてくださいました。九里彰神父様は修道生活に入られる前、3年間本校の地歴科の教員としてシスターと共に勤務された方です。金沢の教会から来ていただきました。聖霊中学・高等学校校長のマイケル・リンストロム神父様はカトリック学校のつながりで学校運営についてシスターにご協力いただいていた方です。春日井カトリック教会の北向神父様は、いつも本校の宗教行事を支えてくださり、シスターとも親しく、よく理解してくださっていた方です。ちょうど11月は「死者の月」であり、11月2日の「慰霊の集い」でも司式をしてくださいました。その時の説教の内容やシスターとの思い出も踏まえて、本ミサにおいて、心の琴線に触れる説教をお話しいただけました。

 

 最後にミサと献花式のあと、私が生徒の皆さんにお話しした内容を載せておきます。

 

◇生徒の皆さんへのお礼とメッセージ◇

 皆さん、Sr.フランチェスカのために祈ってくださり、ありがとうございました。また心のこもった歌とお花を捧げてくださり、感謝しています。シスターはこの学校と生徒たちを本当に愛しておられた方でしたので、何よりの贈り物になったと思います。

 まず私とSr.フランチェスカとの繋がりについてお話しします。シスターが来日し、本校に来られた、ちょうど同じ年に私も新任でやって来ました。だから私の教員人生にはいつもシスターの姿がありました。遠い異国の地である日本に派遣され、言葉や文化の壁を越えて教員をするのがどんなに大変なことだったか、想像に難くありません。そんな中、毎日登校する生徒を出迎えてくださる姿や、生徒を励ましたり、時には優しく諭したりする姿も思い出されます。そういう姿から私は、教員としての姿勢また人として大切なことを学びました。

 シスター方がいらっしゃる学校で教員をするというのは、私にとって、ある意味偶然の出会いです。もしかしたら他の学校で教員をしていたかもしれません。でも、私はこういう生き方をしていらっしゃる方のもとで過ごせたのは、本当にラッキーなことだと思っています。ここにいる先生の多くもそうかもしれません。生徒の皆さんにとっても、それぞれどう思っているか分かりませんが、私は高校時代に、シスターのような方の存在を感じながら過ごせるのは、とても幸運なことだと考えます。

 もう一つ言いたいのは、生徒の皆さんとSr.フランチェスカとの関係ということです。私は今述べたように多くの接点がありましたが、近年は長く闘病生活を送っていらっしゃたので、皆さんは直接の接点があまりなかったかもしれません。特に1年生の方は校内でお姿を見かけたことがある程度かと思います。

 でもこんなふうに考えることもできます。私は両親を既に亡くしましたが、心の中で生きていると思っています。言われた言葉とか、してくれたこととか、事ある毎に思い出し、心の糧となっています。Sr.フランチェスカから学んだことや吸収したことも心の中で生きています。他のシスター方や先生方の中にも生きています。だからそういう人たちを通して皆さんはSr.フランチェスカと繋がっていると言うこともできるのではないかと思うんですよね。

 それと同様に、聖バルトロメア・カピタニオも、はるか遠くの存在のようで、シスター方の中に生きていて、それを通して私たちは身近に感じることができます。Sr.フランチェスカはまさに聖カピタニオのように生きようとした人、また、生きた人だったと私は感じています。最後にSr.フランチェスカが本校の創立50年記念誌の挨拶の中で引用されている、聖カピタニオの言葉を紹介します。

 

 若い女性をとても大切にし、世話をします。教育を必要とする子供たちを教える苦労をいといません。私の学んだことは愛と忍耐を持って教えます。導き手がないために、誘惑に駆られる子供たち、最も助けを必要とする女性たちを心に留めたいものです。このような若者にとって母親の役割を果たしたいと思っています。

校長 村手元樹