◇武者小路実篤記念館に行って来ました◇
突然ですが、皆さんは「武者小路実篤」という人を知っていますか?
大正から昭和にかけて活躍した小説家で、文学史では「白樺派」というグループに数えられ、「人間愛」にあふれる作品を多く残しました。私の好きな作家の一人です。
実篤は、東京の調布というところで晩年を過ごしましたが、その住宅と庭が保存されて、「武者小路実篤記念館」(「実篤公園」も併設)になっています。今年のゴールデンウィークに東京に行く用事があったので、そのついでに足を伸ばして念願であった、その記念館を訪ねることにしました。ただGW中の日曜日、全国の実篤ファンが押し寄せて混んでいるだろうなと思ったんですが、この機会を逃したら今度いつチャンスが来るか分からない、ということで覚悟をして行ったところ、めちゃめちゃ空いていました。ガイドツアーにも参加しましたが、ツアー客は私ひとり、ガイドさんとマンツーマンでした。実篤自慢の庭とか家とかを解説付きでゆったりと堪能できました。
◇人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり◇
実篤は画家としても有名で、午前中に小説を書き、午後に絵を描くという生活を送っていたそうです。特に野菜とか植物の絵を好んで、そこに言葉(画賛という)を書き添えるというものが多いんです。シンプルな中に深みがある言葉です。その中から一つの言葉を紹介します。
ツワブキという花の絵に添えられた、「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」という言葉です。植物のメタファーです。「人が見ても見なくてもどっちでもいい」という投げやりな気持ちではありません。「人見るもよし」というのは「誰かが私を見てくれるのは、とてもいいことだよね。」ということ。人に自分を伝えることは大切なことです。「人見ざるもよし」というのは、「でも仮に人が私を見てくれなかったとしても、それはそれでいい。私は自分らしく咲いているのだから。」という気持ちだと思います。私たちはどうしても人に過度に期待しすぎてしまうところがありますよね。
◇実篤の言葉に通じる、ドラマの場面◇
この言葉から私が連想する、ドラマのワンシーンがあります。「女王の教室」というかなり昔のドラマで、かつての小学校の恩師のところに中学生の女子が学校生活の愚痴を言うために訪ねてくるという場面です。その子が「どうしてみんな分かってくれないんだろう、私はみんなのためを思ってやってるのに。」と興奮気味に言う。それを聞いて先生(アクツマヤという天海祐希演じる厳しい先生です)が、「いい加減目覚めなさい!」と一喝します。これはこの先生の決まり文句で「人生の真理に気づきなさい」ということです。そしてこう続けます。(メモ)「自分だけが正しいと勘違いするのはやめなさい。人に無理に分かってもらおうと思うのもやめなさい。あなたがやったことが本当に相手のためを思ってやっているのならば、あれこれ言い訳をしなくても相手は分かってくれます。あなたの愛を感じ取ってくれます。辛くてもそう信じなさい。」
武者小路実篤の「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」という言葉は、たとえばこんなことを言っているのだと思います。皆さんもこの言葉の意味を考えてみてください。
校長 村手元樹
*2024.5.23 全校朝礼