遠藤周作とカピタニオでの学び -令和6年度第60回卒業証書授与式-
2025.03.04

 

 

 

 

 


令和7年2月28日、快晴に恵まれ、温かい春の日差しを感じながら、卒業書授与式を行なうことができました。昨年度に引き続き、全校生徒が一堂に会し、保護者の方、ご来賓をお迎えして、卒業生を送り出すことができました。

この三年間、ウィズコロナ、アフターコロナという教育活動が難しい時期でもありましたが、卒業生の皆さんが高校生活に一生懸命取り組んでくださり、保護者の方々はじめ多くの方々のご支援もあったお蔭で、何とか今日を迎えることができました。この三年間の充実した日々をともに作り上げていただいた、すべての皆様に感謝申し上げます。

以下は私が卒業式で述べた式辞です。

 

式辞

まず日に日に春の訪れを感じる今日のこのよき日に卒業式を行うことができますことに、心から感謝いたします。ご来賓の方々におかれましては、公私ともにお忙しい中ご臨席を賜り、まことにありがとうございます。ご家族の皆様、お嬢様のご卒業をお祝い申しあげますとともに、ご入学以来、本校の教育方針に深いご理解とあたたかいご協力をいただき、本当にありがとうございました。そして卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

この三年間、こうして皆さんに朝礼や式典、行事などを通して私の思いを伝えられる機会に恵まれました。「教員」というより、皆さんより相当長くカピタニオで時を過ごした「学校の先輩」としてお話ししています。(もちろん同窓生ではありませんが。)学校という場の重要な役割の一つが「ハビトス」と言われるものです。同じ場所でともに過ごすことによって自然と培われ、その場所を離れた後でも共有される価値観のことです。私自身、長い間、他の先生方、シスター方、出会った生徒たちから様々なことを学んで、自分なりに成長できたように感じています。従って私個人の考えというより、この学校で学んだことを踏まえて皆さんにお話をしてきました。そして今その最後の機会となりました。

最後に遠藤周作という作家の話をしたいと思います。長崎修学旅行で「遠藤周作記念館」に行きましたね。遠藤周作は、キリスト教の教えを通して自分とは何か、生きるとは何かを問い続けたカトリックの作家です。しかし遠藤はキリスト教を「着せられた洋服」に例えます。幼い頃、母の影響で偶然、洗礼を受けるものの、やがて違和感を感じるようになります。母親に着せられたキリスト教という洋服が、自分の体にフィットしないことに悩みます。しかし遠藤は愛する者が自分のためにくれた服を簡単に脱ぎ捨てる気持ちになれず、ダブダブの洋服を自分に合った和服にしていこうと決意します。

私たちカトリック学校に集う者にとっても、ここでの学びは偶然「着せられた洋服」と言えるかもしれません。皆さんはミッションスクールという中学校とは違った環境に置かれました。毎日、朝と帰りにお祈りをし、朝礼で聖歌を歌い、時には全校合唱をし、宗教の授業を受け、奉仕活動を行い、普段の生活でも愛の実践を心がけたりもしました。そんな中、皆さんは前向きに取り組み、キリスト教の教えを補助線にしてそれぞれに自分の生き方や社会との関わり方について探究してくれたと思います。

考えてみると人生は偶然の出会いに満ちています。それを自分なりにどう生かしていくかが、より良く生きることに繋がります。皆さんへの今までの話の中で触れた、Sr.渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」もダーウィンの「運と適応」もニーチェの「運命愛」も人生における同じ真実を指し示しています。私たちは自分に与えられる運命の輪郭を事前に選ぶことはできません。しかしそれに自分なりの意味や内容を与えることで、自分の世界を広げ、人生を豊かに彩ることができます。このカトリックの学校で学んだことも、これから歩む道において皆さんの心の糧となることを願っています。

もう一つ遠藤周作について紹介します。彼は「生活」と「人生」とは違うものではないかと考えていました。端的に言えば、生活は「どう生きるか」、人生はそもそも「生きるとは何か」という問題です。「生活」も「人生」も英語にすると「life(ライフ)」という同じ言葉になります。その二つは本来、車の両輪のように密接に繋がっているはずなのに、現代社会ではなぜか「生活」ばかりに目が行って「人生」の観点が抜け落ちがちであるのは確かです。Sr.渡辺和子は「What time is it?」(今何時か)と問い続けるような、慌ただしい生活の中においても、時には立ち止まって「What is time?」(時間とは何か)というような哲学的な思索を忘れないことが、カトリック学校の卒業生の証であると述べています。カピタニオでの学びがそのような学びであったことに皆さんはもう気づいていると思います。

英語の「life(ライフ)」には「生活」「人生」の他にもう一つの訳語があります。それは「いのち」という言葉です。聖書を通して、「いのちの学習」などの授業を通して、また修学旅行の平和学習などを通して、自分の命、周囲の全ての人々の命が掛け替えが無く、大切であることについても皆さんに伝えてきました。

もちろん、これらの学びはこれで終了ではなく、今日からが始まりです。私たちが伝えたことを消化し、これからの人生の中で深め、実践していってください。

最後に皆さんとの出会いに感謝し、皆さんとともに作り上げた三年間の日々を光栄に思うとともに、皆さん一人ひとりの前途に、神様の豊かなお恵みがあることを心から祈って、今日のはなむけの言葉といたします。

令和7年2月28日

聖カピタニオ女子高等学校

校長 村手元樹