カピタニオガーデンの花たち
2024.03.13

行事があるたびに私たちの頭を悩ませるのが、駐車場の問題。

特に担当者は、天気予報とにらめっこしながら、その準備をしています。

 

有り難いことに卒業式も予報が外れ、快晴になりました。

 

 

 

 

 

 

中学校のガーデンから3年前、カピタニオガーデンに移植された花たちは、自分の花がどんな花なのかを知り、それぞれに与えられた庭に旅立っていきました。

 

入学式で初めて聞いた聖書のみ言葉、聖歌、キャンドルサービスに接した生徒たちにとって、初めての異文化体験。本校の特徴科目「女性学」は、生徒たちにとってすんなり受け入れられた科目ですが、「宗教」の授業には抵抗がありました。

まず、「キリスト信者でもない私が、主の祈りや聖母マリアへの祈りを唱えること」への抵抗感から始まり、宗教の授業が始まると「皆さんは人間ですか?」と私が発する質問に、「何言っているんだろ?当たり前じゃないの」という生徒たちの表情。

これまで考えてきたことがないことを考えさせられるたびに、「こんなこと考えて意味あんの?」と言う生徒たちと過ごした1年生の授業でした。

 

1年間を過ごした後、自分を振り返って成長した自分を発見する喜びが、生徒たちの感想に書かれているのを見ると「やった!」と一人でにんまり!

 

こうして、「宗教」の授業は自分と向き合い、自分の良いところを認め、他者と比較することが自分の成長を止めることに気づかせてくれます。

 

2年生、3年生の「宗教」の授業との出会いは、生徒たちにとって生きる糧を得る特別なものになっています。それもやはり一人ひとりの表情から感じ取ることができます。

 

2月になり3年生は自主登校時期、私は一人の生徒と廊下で出会いました。

寒い日に手には参考書を抱え、職員室の前で教員を待っている様子でした。

彼女は公募推薦で某大学に合格していたのですが、何か本人に納得するものではなかったのでしょうか、東京の某大学を目にしたときに「私が勉強したいのは、これだ!」と、そこから彼女の本格的な受験勉強が開始。

2月に登校する友人が少ない中、その生徒は自分の目標に向かってただひたすら受験に取り組む姿が、彼女の表情を別人のように輝かせていました。

その生徒の一言、「私は自分の行くべき道を見つけ、それに向かって頑張っている今の自分が大好きです。」

 

自分の人生を、「まぁ、これでいいっか。」と半ば諦めて歩みがちになるから、私たちの口から不平不満が出てきます。

しかし、この生徒は自分が納得するまで自分の道を探し求めることで、自分を大切に成長させていくという姿を見せてくれました。

 

根の出し方、風雨にさらされてもしっかり踏みとどまる方法などを知ったカピタニオガーデンの花たちは、自分を成長させるためにどのようにすればいいか体験し、生きる力を習得していったことと信じています。

 

私は私でいい。この私が好き。